8月15日は終戦の日。
戦争を直接知らない私はその惨状も苦労も
悲劇もはっきりとは解り得ない。
ただ、様々な角度から伝え聞いてきたことには、
しっかりと耳を傾けてきたつもりだ。
そもそもで言えば、自分の祖先やその周りの人たちが
いて自分や家族が存在する。戦争で亡くなった人たち、
生き抜いてきた人たち、この人たちがいなければ、私は
100%存在していない。
毎年、この日に靖国神社にやってくるのは、今まで自分が
知り得た限りの戦争の悪夢、自分に伝え託された惨劇の記憶を、
自分の足で、目で、空気で、墓標に向き合うことで「実際のこと」
として感じ、あってはならない悲劇が本当にあったことなのだと、
後世にも引き継がなければならないという思いからだ。
写真の彼に一体どういう思いがあるのかは知らない。
が、彼もまた毎年、この日に、この場所にやって来る。
私の大事な友人である。
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